Oishida
時宗 石水山 西光寺
大石田町の旧町内にある西光寺の境内にある。
昔は、現在の西光寺より西方一町ぐらいの所に立光庵という尼寺があり、観音の別当として奉仕していたが、尼寺が廃寺となったので西光寺に移された。その由来は古いがたしかな記録はない。
一説によると、大石田町の細川甚兵衛なる者が平素から観音を信仰しており、温厚で実直な性質であった。その子孫の仙大というのが、最上川に釣りに行ったとき、大宇川の内という所で、川の中に突き出ている大きな理れ木があるので、これに腰をかけて糸を垂れていると、波の間からまぶしく光るものを発見した。不思議に思って釣竿で寄せてみると聖観世音の尊像であった。これは、父が日頃から観音を信仰しているからであろうと、大切に家に持ち帰り、安置してみたが、貧乏なため、狭く汚いので、これでは勿体ないと、西光寺に運び安置したともいう。
寛文十年、最上川に巨大な木材が浮かび上がった。ちょうど観音堂を建てようとしていた時なので、町の人が寄附を集めて西光寺の境内にお堂を建てた。
明治三年七月十八日、町の大火のために延焼したが、尊像だけは取り出され無事であった。現在のお堂は明治五年、西光寺の三十一世知道上人の時に再建したもので、境内の仁王門の仁王像は慶応三年六月、大石田の彫刻家柴川文蔵が、東京浅草の仁王に似せて彫刻したものである。