Shionosawa
曹洞宗 塩沢山 曹源院
曹源院より1キロ西方の山の中腹に建つ。
寺の縁起によれば、四位少将師興朝臣がお堂を建立し、千手観音を安置したのがはじまりで、のちに朝臣の子孫にあたる日野備中守師重が、塩澤山に築城し付近一帯を治めていた。
天正の頃、最上義光の家臣、延沢能登守に攻略され、戦火のために城も堂もご尊像までも累が及んだ。その後、秘仏として祀られた。現在のお堂は享保年間、博道和尚の頃の建立によるもの。大正二年の台風のため、お堂が倒壊し修復され、臨時のご開帳を行った。やはりご尊像は全くの炭化状態だった。昭和61年まで秘仏として祀られていたが、開創五百五十五年を記念とし、ご巡拝の方々の尊い浄財を基金として、もとの尊像と新像を新しい厨子に安置している。
歌聖斎藤茂吉が戦後当町に疎開中(昭和21年1月30日~22年11月3日)、度々観音堂を訪れ次の歌を詠んでいる。
「横ざまにふゞける雪をかえりみむいとまもあらず橋をわたりつ」
「ひとりにてしばしばもきし塩の澤の観音力よわれをなわすれそ」