Kawamae
川前観音堂
尾花沢から西へ5キロ余り、最上川の下流、川が大きく蛇行する小高い丘の上にある。
昔、この地方に悪い病気が流行したとき、慈覚大師が観音像を安置し、悪病消除のお祈りをし、悪病を退散させたのが始まりと伝えられている。大師は、国土安穏、万民息災のため、永く尊像を祀り、人々にお祈りを続けるよう教えて去った。この地方に住んでいた安倍頼泰という豪族が、深くこれを信仰していたので、丘の上にお堂を建てて、観音像を守護仏として崇拝した。その子孫も代々これを敬ってきたが、頼直の時に最上義光から攻められて敗れた。安倍一族はすべて戦死してしまった。そのため、自然と観音堂に奉仕する人もなくなり、荒れ果ててしまった。
のちに村人が相談して村の鎮守仏として維持してきた。新庄藩の戸沢侯からは維新前までは物資の寄進があり、お堂や境内の修理も十分にやってきたが、維新後は、主として村の有志がお互いに金を出し合って法燈を消さないようにした。人々の信仰のお陰で今日まで続いてきた。
観音堂の境内は、最上川の清流にのぞみ、亀井田橋を渡る途中から左手に観音堂が見えてくる。又、観音堂より少し登った所に「ふれあいセンター」がある。総ガラス張りのアトリエとなっていて、青々とした雄大な最上川が一望できる。雨季の時期は激流となり被害をもたらす事もあるが、最上川を眼下にしている観音様が守って下さるのであろう、被害も最小限ですんでいる。