Nobesawa
曹洞宗 祥雲山 龍護寺
寛文年間、延沢に住んでいた土屋又三郎という人が、深く観音を信じ、諸国の霊場を巡礼して歩いている途中、近江の国の瓦原寺に泊まった。その夜、夢に天女が現れ「自分はここの観音であるが、お前と一緒に出羽の国に行ってとどまりたいから、明日、私を背負って出発せよ」というお告げがあった。翌朝になると、寺の住職が又三郎のところに来て「昨夜おそく、ここの観音様が枕辺に姿を現して「今夜泊まっている修行者といっしょに、出羽国の祥雲山に行きたい」といわれた。どうか、あなたが大切に持って行ってくれないか」というのである。又三郎も同じ頃に同じ夢を見た話をし、二人とも驚いてしまった。
又三郎はこれを機会に仏門に入る決心をし、山城の国、宇治の黄蘗山に足をとめ、隠元禅師について頭を丸め、尊像を棒じて故郷の延沢に帰った。彼は直ちに竜護寺の境内にお堂を建てて、観音像を安置したが、これを聞いた人々は毎日、参詣に通うことになった。貞享元年になり、竜護寺の第十一世徳眠禅師のとき改築したが、宝歴十三年第十三世梅林大和尚の代、山火事でお堂が焼けた。尊像と宝物の隠元禅師の書は無事だった。その後、直ぐに再建されたが、明治四十五年頃には各所が傷んできたものを、先代の住職が改築し、いまのところに移転したのである。尚、平成15年に新築された。