Komatsuzawa
真言宗 青蓮山 清浄院
小松沢は、黒鳥の北側にあたる村山市に位置しており、 霊場の中では最も里から離れている。
行基が布教のため、この小松沢の里にしばらく足をとどめ、心をこめて三体の仏像を彫刻した。これを、岩の上にお堂を建てて安置し、熊野三所権現にならって、巌上三所権現と呼ぶようになった。別当の巌下寺は、この時建立されたものである。当時、観音堂は山麓の巌上、いまの米撒清水のところにあったが、寛文年間、今から約二百八十年前、山火事で類焼し、再建の途中でまた焼けてしまった。さらに享和二年三月にも山火事で焼けたが、三体は少しも破損しなかったのは、仏の加護があったからだと伝えられている。
享和二年八月二十日、新しいお堂が完成し、巌下寺の勝覚住職手で祭典が行われた。村山市郷社八幡神社下方の清浄院が、元の巌下寺である。この境内はたいへん静かな場所にあり、お堂も大きく美しく、参詣者は自然にえりを正したくなる。最上三十三観音の札所の中で山寺、若松に次いで荘厳な感じのする霊場であり、山の頂上からは、美しい最上川の流れや、田畑に包まれた家々が見渡せ、まるで一幅の絵を見るようである。ふもとから観音堂の広場までは、数百の段々道であり、これは、昔、長瀞村の結城久右衛門が寄進したものである。
杉の木の下から湧き出る清水を、乳不足の婦人がご飯を炊く時に使えば、乳が出るようになるといわれている。