Kurotori
曹洞宗 東根山 秀重院
国道13号より県道122号(仙台方面)に入り東根市民体育館先の信号を左折、かささぎ橋を渡りすぐ右折し、坂を上ると急に視界が開け広い駐車場に出る。駐車場周辺は黒鳥公園になっていて公園からは村山平野を見下ろすことが出来る。
黒鳥は723年、大和国長谷寺十一面観音を勧請し、後年その祠を山腹に建てたとも言われる。また一説には、871年堂の前愛宕神社と共に、郡司伴直道の奉祀とも言い伝えられている。
寺の縁起によれば、享保年間(1716~1735)の頃、龍興寺住職崇容和尚が、観音堂の再建を発願し、郡奉行の多賀谷次郎左衛門が工事を指揮し、お堂を完成させたという。当時、別当は龍興寺で、観音に関する一切を管理してきたが、その後龍興寺が衰退して久しい間住職もいなくなったため、信者は仕方なく、お互いに交替で管理していた。関係者が相談の上、秀重院にまかせることになり、文政三年(1820)以来、秀重院が別当となり今日に受け継がれてきた。現在は秀重院というお寺の直接管理にはなっていないが、黒鳥での朱印帳には今も秀重院の名が書き記されているのは、歴史的な関わりを表している証と受け取れる。
古いお堂は、鶴ヶ池、亀ヶ池の上にあったが、火災のため焼け落ちた後、現在の所に移したと言われる。境内の石段は改築の際に蟹沢村の知開坊が作ったとされ、また梵鐘には、延宝三年(1675)六月十七日奉納、その後享和二年(1802)八月十七日龍興寺の高寛和尚の時村の早坂徳兵衛がお堂を再建したことが記されていたとされる。その梵鐘は戦時下に供出され現在の梵鐘は昭和25年7月31日に再建されたものである。