Nagaoka
真言宗 長岡山 長念寺
地図の上では山形県のほぼ中心に位置する寒河江市に長岡はある。
清和天皇の貞観年間、真済僧正という僧が長岡山に観音を安置して、総持寺を開山した。のちに大江親広が寒河江地方を治めた時、守護仏として観音堂を建て、祈願料として七十三石を寺の領地として寄進した。それ以前、大江家では代々深く観音を信仰していたが、十八代の高基の時、山形城主・最上義光に攻められた。寒河江軍はよく防戦したが、中野原の戦いで敗れ、天正十二年六月高基は自殺した。この戦で観音堂は焼け落ち、宝物や記録などは全て焼失してしまうが尊像だけは無事であった。
戦争の後、信仰心のあつい義光は、観音堂を兵火の犠牲にしたことを深く遺憾に思い、特に命じて工事を進めたため、間もなく再建することが出来た。さらに大江家で寄進していたと同じものを続けることにし、その他にも、機会ある毎に供物をしてきた。
最上家が亡びてからも、慶安二年、徳川幕府からも七十三石を賜っていた。真済僧正は、弘法大師の直弟子であり、総持寺を開いた偉い人である。それが明治維新の時、総持寺が断絶してしまったので長念寺に総持寺のものを譲り、長岡山にあった観音堂をここに移した。長念寺についての古い記録はいま伝わっていないのでわからない。