第15番 落裳

Otomo

曹洞宗 京集山 観音寺

落裳

最上川の上流、寒河江市柴橋にある落裳観音は、六歌仙の一人である小野小町が開創したといわれる。

御本尊
十一面観世音菩薩 作者不明
御詠歌
ぎやくえんも もらさですくふ ぐわんなれは
じゆんれいだうは たのもしきかな
御利益
諸願成就
住 所
寒河江市柴橋2494-1
交 通
JR寒河江駅よりバス
(平塩経由左沢行)落裳下車、徒歩2分
駐車場
大型は参道入口路上駐車、
小型は境内
トイレ:あり
お問合せ
☎0237-86-4308

歴史・由来

昔、小野小町が京都から東北地方に来て、大沼の浮島を見物していると、突然天女の姿が現れ、紫の雲の間から羽衣をおとした。その羽衣の上には、十一面観音が立っていた。小町は不思議に思い、里の人々を説いてお堂を建てた。そして、自分の持ってきた守護仏の十一面観音を安置し、天女のおとした羽衣を拾い集め、七宝の念珠といっしょに奉納して霊場とした。小野小町が京都から来て観音堂を開き、参詣者が沢山集まってきたところから京集山と呼び、天女が羽衣をおとしたという伝説があるので、地名を落裳と呼ぶようになった。また一説には、小町は年をとってから法衣をまとって諸国を巡り、この土地に来て、その法衣を添えて納めたのがその本尊であるともいわれる。

観音堂は、もとは現在の場所から東北方、三町余りのところにある寺山にあったが、享和二年、十五代の住職、円通白門大和尚が現在の場所に移した。その後、二十二代の恵雲大和尚の代、明治三十六年八月、参詣人のあげた線香から火事になり、お堂は全焼してしまった。しかし、その猛火の中にあっても、本尊は焼けもせず残った。住職は直ぐ再建計画を立て、その年の十一月に落成したのが現在のお堂である。この観音は、養蚕安全の霊験あらたかであるため、養蚕家からの信仰があつい。

落裳

落裳

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