Naganobori
真言宗 寒江山 長登寺
もとの観音堂は現在地よりも2キロ程入った山頂にあった。明治の初年(1868年)、神仏分離令により当時の別当長登は神官になり、御尊像は山からおろして、しばらく土蔵の中に安置。その後、長流寺からの依頼で明治三十年(1897年)に長流寺に移した。
当山の起こりは『仁皇四十五代の帝聖武天皇の勅宣により 行基菩薩が紀州那智の浦にうち寄せられた木を取り上げ 入念執刀三昧加持し奉り御長六尺三寸白檀の十一面観音を彫刻奉る 外に阿弥陀 薬師 多門 持国 各々一体を造立され 此の国に御将来あって勝地を尋ね給う所 当山は不思議な瑞験有りて山岨に登って熱塩の峯に安座。寒江山長登寺はこうして開基された。その時の国守藤原朝臣重経公におおせ含め天平三辛末年(731)に伽藍建立あそばされ 天長地久御願円満の為佛像を立て置かれた。』(以上、古文書より抜粋)
明治三十一年(1898)に火災にあい焼けただれた御尊像は桐の箱に納められ、それ以来秘仏として厳封された。それでもなお四方の信者は観世音の霊徳を敬仰し巡礼参拝する方々が絶えないので、明治三十八年(1905)、山麓の長登氏の所有地に仮堂を建設し御尊像の遷座を行った。
村人の熱心な信仰心により、大正十五年(1926)三月に現在の長登山の中腹に再建された。御尊像は身代わりの前仏として昭和二十七年(1952)に造立されたものである。別当の長登家は開基当時から相続し子孫代々観世音に奉仕し、明治維新前までは若干の御朱印地寺禄を有していた。