Mikawamura
曹洞宗 観音山 常福寺
本尊は秘仏としてまつられており、開創555年記念御開帳まで一度も開帳されたことがないと伝えられてきた。
御尊像は、若松と同じ木を使用して、彫刻したものであるという言い伝えから、行基が鈴立山に留まった和同年間のものと考えられる。約一千二百年前の仏像が一度も開帳されないまま、秘仏として今日まで至っており、若松に対すると同じ神秘感に打たれるところである。
現在の別当寺である常福寺は、享保年間に火災にあい古い時代の什器、記録等一切を失ってしまったので詳しい来歴、由緒が解らないのが誠に残念である。山形市の北西郊外、山辺町に位置し、十二番長谷堂よりは西部農免道路を北に約8キロ直進するとシンボルである大杉が右手に見え、道も非常にわかりやすく、須川の西岸の閑静な地に位置する。近年、温泉の発掘、住宅団地の建設と発展中の地域でもある。
境内には観音信仰の御利益を如実に物語る石燈篭がある。その由来とは、大正時代、現在の山形市小立に荒井作蔵という翁がいて、翁病魔に倒れ薬石効なく臨終の時を迎えた時のことであった。近親者揃い香を手向けようとしたとき、翁むっくりと起き上がり「観音様が今枕辺に立ち作蔵逝くでないぞと、お告げがあった」と言い、その後不自由のない生活を送ったという。その観音様こそ第十三番の三河村で、後日、本人石工を引き連れお礼参りにきて奉納したのがこの石燈篭である。延命観音と呼称されるのもこの所以である。念ずれば叶うということの具現であろうか。