Hasedo
真言宗 長谷山 長光院
当面の間、1番若松観音、33番庭月観音が朱印所代行となります。
長谷堂は、山形市の西の丘陵、標高229メートルの小高い山の上にある。本尊は、三尺余(約1メートル)の木像に納められた一寸八分(約5センチ)の黄金の胎内仏である。
源頼義が奥州の賊伐に際し、大和の長谷寺の観世音を守護仏として、自分の兜の中に収めてきた。やがて、賊を討って都に帰ろうとしたある夜、観音の霊夢を感じた。それは「我れを永く此の地に止めて祀らしめよ」というものであったため、頼義はここにお堂を建て、持ってきた仏像を安置した。地名や山号である長谷堂、長谷山は、大和の長谷寺から生まれたものである。
嘉永元年、火災のためお堂は灰になったが、尊像だけは時の住職や信者の手で取り出され、一時、米沢に移していたが、仮堂が出来たので翌年帰山した。時の領主、秋元但馬守は、深くこの観音を信仰し、立派なお堂を再建し現在に至っている。境内には秋元氏の碑が建立されている。
お堂のある頂上は見晴らしがよく、東に蔵王山系、北に月山・葉山、西に朝日連峰が眺められる。各札所とも、それぞれ景色のいい土地に建っているが、ここはまた格別である。別当は、良き住職にめぐまれず廃寺となったが、共住の長光院の長谷智仙師が今から六十年余り前の戦後、再興に懸命の努力をし、現在に引き継がれている。