Kaminoyama
真言宗 水岸山 観音寺
ここは、境内に「下の大湯」共同浴場の湯壷にお湯をそそぐ滝口があったため、地元では湯の上とも呼ばれている。
鳥羽天皇の天仁二年(1109)道寂和尚が開山し、本尊は小野篁の護り本尊といわれている。昔、この山のふもと一帯は、満々とした湖であった所から、水の深い所を「鏡ヶ淵」といい、山号を水岸山と称した。平安朝のその昔、参議小野篁が賊を討つためこの地方に来たとき、鏡の霊石、鏡石を探そうとした。ところが誤って、懐中に入れていた観音像を淵の中に落としてしまった。部下の者を使って徹底的に探し求めたが、とうとう発見することは出来なかった。小野篁が京に引き上げてからしばらくして、土地の漁師が綱にかかった仏像を拾った。それが篁の紛失した観音像だったので、すぐ都の篁に報告すると共に、永くこの地に祀りたいと願った。
水岸山にご本尊が安置されてから時を重ねて、文政八年(1825)三月、町内の大火に遭い観音堂は類焼したが、ご本尊は住職が取り出して被災を免れた。仮の堂を作って安置していたが、弘化四年(1847)七月十七日、時の領主松平家の助力と一般の信者からの寄付で再建された。維新までは代々の藩主の信仰もあつく、毎年の例祭には使者が参拝し、祭祀料を寄進するなど特別の保護を受けていた。
元上山領内には「上山三十三所観音」があり、一泊二日で今も参拝が行われている。又、大正七年には上山の近郷を加えて、上山十体観音と称する霊場が作られた。観音寺はその第一番であり、十観音巡りは半日の行程であるため、「上山城」見学も兼ねた巡礼者が多い。