Mutsukunugi
天台宗 六椹山 宗福院
山形市街の南寄り、鉄砲町に八番札所六椹はある。本尊は聖観世音、大勢至の両菩薩で、共に行基菩薩の作。
布教に来た慈覚大師が、民衆の眼耳鼻舌身意の六つと、地獄、飢餓、畜生、修羅、人間、天上界の六道の苦しみを救わんとして、桧が無かったためその代用に椹の木で護摩を焚き祈ったのが六椹のはじまりと伝えられる。人々の信仰は勿論、代々の領主の崇敬もあつかったが、その中でも最上義光の信仰はとくに深く、建物を改築したり、四十八石の寺の領地を奇進している。最上家が亡んでからも、徳川幕府から同じく四十八石の御朱印を与えられた。
明治維新になり、寺領も御来印地などもすべて没収されたが、地方の信心家の喜捨や寄進によって維持し、寺の修理を行ってきた。明治二年、火災のため庫裏をはじめ建造物や書類、器具などをすべて焼失した。さらに明治十年と十三年にも火事にあい、境内のものすべて焼けてしまったが、不思議に観音堂だけは焼け残り、これは観音様の力によるものと、信仰は益々深まっていった。言い伝えによると、昔は寺の境内で製塩していたという。
又、この寺には、元禄年間将軍家から下賜された、三葉葵の紋が入つた簾三枚と、元禄三年に製作したという賽銭箱などがあり、由緒あることを物語っている。