第6番 平清水

Hirashimizu

曹洞宗 清水山 耕龍寺

平清水

唐松をあとに平清水へ向かうと、左手に釣鐘型の千歳山(標高476メートル)がある。全山松におおわれ、なだらかな曲線の美しい山容は、平安時代のころより名勝地として知られていた。古歌に「みちのくはひろき国ぞと聞くものを阿古耶の松にさわる月影」と詠まれている。

御本尊
十一面観世音菩薩 春日 御作
御詠歌
ひがしやま ながれはおなじ ひらしみず
むすぶこころは すずしかるらん
御利益
諸願成就
住 所
山形市平清水95
交 通
JR山形駅よりバス(東北芸工大行)
平清水下車、徒歩20分
駐車場
大型は参道入口路上駐車、
小型は境内に駐車
お問合せ
☎023-631-7570

歴史・由来

阿古耶の伝説は古来より文人墨客に関心をもたれ、多くの人がこの山に遊んでいる。

紫衣事件で上山に流謫した沢庵和尚も「思ひきや今宵の月をみちのくの阿古耶の松の蔭に見むとは」 「千歳山千代もとかけてめでたきは阿古耶の松に木がくれの月」などと詠んでいる。

阿古耶の伝説には二説ある。美貌の阿古耶姫が成人し、ある夜訪れた男と夫婦の契を結んだが、その若者はこの山の松の精であることがわかる。やがて松の木は切り倒され、悲恋の姫は「せめて私を山にうずめ、頂上に松を植えてほしい」と遺言し、はかなくこの世を去ったという説。一方、藤原豊成の二女阿古耶姫は、父に関連した事件で難を避けるため、家臣の故郷平清水の里に隠れ住んだが、美しい姫は成人間もなく病死し、遺言により千歳山の山頂に埋葬され、墓標がわりに松が植えられたという説。いずれにしても五番より六番へは阿古耶姫の眠る千歳山麓をめぐり、薄命の姫が住んでいたと伝える平清水までたどるのである。

千歳山から流れ出る川を渡って別当耕龍寺へ。そして段丘に造成された霊園の中を登って観音堂へ。寺伝によれば、後冷泉天皇(1045~68)のころ源頼義が奥羽の安倍貞任一族と戦い、その戦勝を京都の清水観音に祈願し、それが成就して凱旋の途中、京都の音羽の滝に似た平清水に、京都清水寺より春日の作と伝える十一面観世音を勧請して安置したのがはじまりである。その後、四キロほど下の新山に移遷し、観音山と呼ばれ、最上川東側三十三ヵ村の守護仏として信仰された。

応永年間(1412~28)に不遷な者が自宅に十一面観世音を安置したため火災にあい、その後観世音は自玉和尚が開創した耕龍寺へ奉安された。耕龍寺はそのころ観音堂の西側にあった。伝説では付近一帯は湖で、そこに住む竜神を白苗和尚が成仏させたことから、湖は耕地に生まれかわり、耕龍寺の名がつけられたという。耕龍寺本堂から観音堂へは二百メートルほど登る。

焼きものの里・平清水のはじまりは、江戸中期の頃。常陸笠間の小野荏兵衛が、平清水の丹羽治左ヱ門方に寄寓して窯業を始めたといわれ、現在では陶祖として崇められているが、実際には、それを引継いだ岩波村の伊藤藤十郎らによって成功し、世に平清水焼の名を知らしめた。平清水焼は一見、清水焼をおもわせるような上品な焼物で、耕龍寺の近くにある窯元で求めることができる。

平清水

平清水

平清水