Senjyudo
天台宗 守国山 吉祥院
山寺からおよそ13キロ、山形市の北の郊外に位置している。阿弥陀・観音・薬師の三尊はそれぞれ五尺余りで、行基の作と伝えられる。観音は明治36年に国宝、現在は重要文化財に指定されている。
脇立は毘沙門天、吉祥天、子安観音、勢至菩薩。今を去る一千二百五十余年の昔、聖武天皇の天平年間、出羽の国に悪い病気が流行し、人々が大変苦しんでいた。これを聞いた朝廷は、行基に悪疫退散の祈願をさせるため、東北地方に派遣された。行基はこの地に着くや,まず三体の仏像を刻み、日夜一心に病気平癒を祈願した。この結果、さしもの悪疫も忽ち退散し、人々は安心して生活できるようになった。以来、朝廷の崇敬も深く、この地方の人々の信仰も厚く、鎮護国家の道場として、また病魔降伏、諸願成就の祈願所として広く知れわたることとなった。
ご本尊の千手観世音は像高175.1センチ、一木造りの立像で平安時代初期の作とみられる。永い歳月を経ているため多臂と足先は失われているが、柔和で高貴な容姿で、いかにも円満端麗なお姿を今に伝えている。現在の堂塔は、正平五年、出羽の国司、斯波兼頼の再建にかかるもので、昭和四十六年に解体修理され、鋳茸、宝形造りである。境内には、奥州平泉の藤原秀衡が久安二年建立したと伝えられる日輪・月輪の古碑二基、又源義経が奉納植樹したという伝説をもつ桜木がある。
このほか、奥ノ院には、山形城主最上義光が慶長八年に奉納した御詠歌額がある。額には「第一番千手堂」と記され、そのころ一番の札所であったことも考えられる。この辺一帯は、古墳地帯として知られ、石棺、土器などが出土し、古くから開けていたことが知られる。