Wakamatsu
天台宗 鈴立山 若松寺
天童駅から東へ5キロ、鈴立山の中腹に花笠音頭にも唄われている若松寺(通称“若松観音”)がある。
今を去る事千三百年前、飛鳥時代、和銅元年(708)に元明天皇の勅命によって東国巡錫の途にあった行基菩薩が、鈴の音に導かれ登山し、山上に於て光り輝く三十三観音像を感得した事から開山された霊場である。
御本尊は行基菩薩自ら一刀三礼の則で刻んだ等身大の聖観世音である。しかしながら御本尊は、行基菩薩が他見を禁じられたため永久の秘仏となっている。
開山後百五十年、平安の御代には弘法大師空海や貞観年中の慈覚大師円仁の登山により、当山は一大仏教霊地に発展した。又鎌倉期には、当時山形の政治、文化の中枢に位置した成生荘の政所、藤原真綱一族が当山の熱心な信者となり、弘長三年(1263)に二世安楽を願って、今日最高傑作と評価される金銅聖観音像懸仏を奉納した。江戸期には山形の大名最上義光が寺領二百三十石を寄進し、徳川三代将軍家光がそれを御朱印地として安堵した。
昭和三十八年重要文化財に指定された観音堂は、橅(ブナ)材を主とした五間五面単層入母屋造の御堂で東北地方の数少ない密教本堂の遺跡例である。又内陣には、金銅聖観音像懸仏と板絵著色神馬図の重要文化財二点が安置されている。
室町期の香りただよう重厚な観音堂を中心に、祈願所・元三大師堂,地蔵堂・鐘楼堂などの堂宇が点在する境内は、神秘的な雰囲気におおわれ、千三百年来の祈願・回向の総道場の威厳に満ち、一番札所にふさわしい霊場である。