Taroda
天台宗 慈雲山 明学院
向町から国道47号線を3キロほど西に進むと太郎田である。
この地方はその昔、一帯が見渡す限り泥海のようであったが、最上川流域の開拓に従って原野となり、部落が作られていった。その未開の頃に伊豆の国の伊豆三郎という者が移り住み、狩りや漁をして生活していた。ある日、安芸の国の人で田沢内之助と諸国行脚の折り、知り合いになり、三人で相談して、原野を開墾して耕地にすることにした。
泥水の退いたあとは、広い土地で地味も豊かであったが、住む人は少なく、また自分で進んで開拓に当たろうとする者もなかった。三郎と内匠之助はたとえ自分たちだけでも目的を達しようと、仕事を進めていった。ある朝、二人で土地を検分しているとき、草むらの中から一羽の白鷺が飛び立った。びっくりしてその辺を探してみると、観音像が立っているではないか。大切に家に持ち帰り安置した。また、尊像のあった所のあとは、自然に泥がとけて苗代のようになり、試みに稲を植えたところ、見事に生育していった。
二人は、観音像の功徳であると一層信仰を深めた。付近の人々もその徳を慕って集まってきた。内匠之助も一家中を故郷から呼び寄せ、開拓に精を出した。この辺一帯は、肥料を用いなくとも毎年豊作が続いたため、人々は観音の広大無辺なご利益に感謝した。
太郎田は初めて種を播いたところで、次郎田は次に開田したところであるといわれ、字名も太郎田前、北太郎田等現在も残っている。